ロバートキャパと沢木耕太郎&団十郎が亡くなった、加藤寛も亡くなった


昨日のNHKスペシャル!久々に、唸った、感動した、まいった!!!

【沢木耕太郎 推理ドキュメント
運命の一枚
~"戦場"写真 最大の謎に挑む~】
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0203/index.html

戦場カメラマンの草分け、ロバート・キャパの出世作「崩れ落ちる兵士」
誰もが一度は目にしたことがある写真だと思うが
その撮影に関して多くの疑問が語られ、長い期間(70年以上)謎のもままになっていた。
それを
沢木耕太郎は解明した、これ以上は言わない、ともかく驚きのノンフィクション番組だ。
番組を見た方も多いと思うし、たぶん再放送もあると思うので
ともかくごらんいただくことをお勧めする!

沢木耕太郎に関して少しだけ記させいてください。
彼のこと、これまた私、愛してやまない作家の一人。
ノンフィクションの作家の第一人者であるということは事実である。
私は、もちろんその作品の質の高さ、濃さに惹かれているのだが
それ以前、彼の題材に対して向かい合う姿勢というか、信念、
それに惚れ込んでいるといったほうが正しいと思う。
前に彼が講演で言っていた事が記されていた。
スポーツライターの先駆けとして舞台に踊り出てきた彼からすると
日本人のスポーツ・ジャーナリズム、特に最近のそれは物足りないものと写っている。
スポーツ界、色々なことで騒がれている昨今だからこそ
彼の言葉をもう一度咀嚼する意もこめて抜粋し書き出してみます。

『(日本の最近のスポーツ記事は)無人称の記事が多い。無人称は無責任でもある。
対してアメリカの記者は試合を見て、各自の頭の中で、それぞれの違うストーリを作っている
(他の記者が何を聞こうが、自分が聞きたい事を聞いて、それで十分、自分の記事を書く)。
・・・中略・・・
日本の場合はそうおいう記事の作り方をしない・・・
(あの選手はこんなことを言ったのか、どうしてうちの新聞には載っていないんだ、
という事態を恐れ取材も右にならえで、記者間、紙面間での)摩擦を恐れる、
あるいは自分の責任を回避することが無責任のうちに行われているのではないか。
スポーツだけに限らない。読み手にも関係してくるのかもしれない。
・・・中略・・・
自分の責任を明らかにして物語りうを作ることは恐ろしいことだ。勇気が必要だ。
最大限に取材して、こういうことなんだろうと勇気を持って世界に向かって接線を1本投げかける。
それがスポーツライティングであり、広くノンフィクションと言われている書き物だ。
その覚悟はフリーランスのライターにも、記者にも持ってほしいと僕は思う』
敬服。

ところで
世の中は、歌舞伎の団十郎が亡くなったことに、大騒ぎだ。
その騒ぎの陰に隠れて、あまり話題になっていないが
経済学者の加藤寛も亡くなった。
小泉純一郎の大学時代の恩師でもある。
まあ何処そこの学閥で、竹中平蔵がその流れを汲んで規制緩和政策を推し進めた、
ということは、許しがたく捨てては置けないかな、
色々と評価は分かれるところだが。
彼らは果たして勇気を持って責任明らかにしたのだろうか?
・・・前に私の母から加藤寛と親しいと聞いたことがあるので、
昨日改めて母に聞いてみてわかった。
どうも親戚らしい、うかつに書けんな、くわばらくわばら・・・。

話は戻って、
沢木氏は
「勇気と責任を持ち物語を描く」
ことが大切だと書いている。

まあ、ともかく団十郎ともにご冥福をお祈りする。


今回の一言:
責任と評価は必ずしも一致しない
しかし
自信と責任は一致する、
はず。