コラムン98:「大学総前夜祭’79」&「’70年代フォーク・ロックヒットナンバー」
コラムンは100回で一区切り。
その先は現業に則した内容も含め
少々パブリックな要素が含まれてくると思うので
今までの様な、いたって個人的な編集方針はそこまで。
なので、今回と次回の2回は区切りスペシャルにさせていただきます。
個人的記録に偏りますが
一度は整理してどこかに記しておこうと思っていたことなので
この場をお借りしての事お許しいただき、
よろしければお付き合いくださいませ。
前に書いた僕が大学生のとき作った
大学プロデュース連合の話を
改めてもう一度、写真も添付し、詳しく書きます。
色々な活動をしたが節目となる二話を。
「大学総前夜祭’79」
添付写真はその時のパンフレットの表紙(表1,4)だ。
今では考えられないと思うが
1979年の10月21日(日)~28日(日)の八日間にわたり
渋谷109の前、そう今時々イベントなんかやっているあそこ、
そこを貸し切って秋の各大学の学園際前の前夜祭と銘打って
連日学園祭を開催した。
特設のステージでは大学生のロックバンド、ビックバンド、
DJブースでは大学の放送研究会によるDJ
周辺では今で言うところのフリーマーケットで
大学の占い研究会、陶芸部、日本酒研究会など。
学校名だけダイジェストに書くと
青山、慶応、国学院、東工大、早稲田、跡見、学習院、成城、津田塾、
東京女子、日本女子、日大、法制、武蔵工、明治、和光、中央、大妻
共立、立教、実践、恵泉、成蹊、電通、東京芸術、東京造形、等々。
詳しくは添付写真「参加大学サークル」を見て欲しい。
よくやったよ、本当に、今でも思います。
時には人が道に溢れ、身動きが出来ない状態になり
警察が交通整理をするまで盛り上がったりしました
(勿論警察の了解の下に行った催しですので)。
この前夜祭をきっかけに
神保君がドラムだった慶応のビックバンドに
急遽ベースで桜井君が参加したことにより
彼がカシオペアに入ったりもしたと聞く。
またこのイベントで僕達は
渋谷文化トライアングル構想なるものを打ち立てていた。
それは、渋谷文化は(当時)新しい109を中心に
音楽の中心道玄坂ヤマハ店、ファッションの中心公演通りパルコ
これを結ぶべく文化トライアングル構想を打ちたて、
(勝手に)盛り上げようとしていた。
学生によるカルチェラタンを渋谷に作ろうと、
少しまじめに思っていたんだ。
と、丁度その頃、後の東急文化村を中心になり立ち上げ、
後にトップになられる人物と知り合うんだが
・・・これがまたとんでもなく素敵な人だ、まそれはそれとして・・・
その方は、当時まだ東急系の代理店の若きアドマン。
まあ見た目は・・・もみ上げとネクタイが個性的な方で・・・
その方が
「パルコは無いだろうがパルコは・・・、東急本店でしょうが、もう一点は」
と何だかわけの分かったような、よく分からないような勢いに押されて・・・
で、少し後でその方が中心になり、
かつて東急本店の裏にあった大きな駐車場で
「アメリカ文化村」と言うイベントが行われることになり、お手伝いもした。
それが今思うと、現在の東急文化村オーチャードホールへと続く
「文化の道」の始まりだった。
もう一つは
年末に行われたNHKホールでの年末特番
残っている資料を改めてみてみたら忘れていたことも多く改めて記します。
タイトルは「’70年代フォーク・ロックヒットナンバー」
司会は宇崎竜童氏で
東京六大学の学生バンドがそれぞれ演奏。
出演は宇崎氏、学生バンド、そして私たち。
ベースとなるのは私たちが調査した
都内三〇校、二千人へのアンケートのデータで
宇崎氏と会場NHKホールに集まった学生とのトークなどで構成された。
手元に残っている当時の読売新聞によると(写真添付)
そのアンケート結果では
大学生が選ぶ70年代を代表するアーテストは
「荒井由実」、「アリス」、「かぐや姫」、「チューリップ」
ベストソングは①「心の旅」②「神田川」③「いとしのエリー」
因みにワーストアーティストは「さだまさし(女学生には堂々の一位)、
松山千春・・・だったようだ。
これ以外に
伊勢丹でファッションサークルによる大学生が提案する
リクルート・ファッションショーやったり、
まっそんなこんなで、楽しい時間でした。
今日の一言:
ヒカリエがもうすぐオープンする。
1Q79年、僕達は渋谷にいた。
href="https://livedoor.blogimg.jp/chiakikun/imgs/c/a/ca024a4b.jpg" title="07" target="_blank">
コラムンは100回で一区切り。
その先は現業に則した内容も含め
少々パブリックな要素が含まれてくると思うので
今までの様な、いたって個人的な編集方針はそこまで。
なので、今回と次回の2回は区切りスペシャルにさせていただきます。
個人的記録に偏りますが
一度は整理してどこかに記しておこうと思っていたことなので
この場をお借りしての事お許しいただき、
よろしければお付き合いくださいませ。
前に書いた僕が大学生のとき作った
大学プロデュース連合の話を
改めてもう一度、写真も添付し、詳しく書きます。
色々な活動をしたが節目となる二話を。
「大学総前夜祭’79」
添付写真はその時のパンフレットの表紙(表1,4)だ。
今では考えられないと思うが
1979年の10月21日(日)~28日(日)の八日間にわたり
渋谷109の前、そう今時々イベントなんかやっているあそこ、
そこを貸し切って秋の各大学の学園際前の前夜祭と銘打って
連日学園祭を開催した。
特設のステージでは大学生のロックバンド、ビックバンド、
DJブースでは大学の放送研究会によるDJ
周辺では今で言うところのフリーマーケットで
大学の占い研究会、陶芸部、日本酒研究会など。
学校名だけダイジェストに書くと
青山、慶応、国学院、東工大、早稲田、跡見、学習院、成城、津田塾、
東京女子、日本女子、日大、法制、武蔵工、明治、和光、中央、大妻
共立、立教、実践、恵泉、成蹊、電通、東京芸術、東京造形、等々。
詳しくは添付写真「参加大学サークル」を見て欲しい。
よくやったよ、本当に、今でも思います。
時には人が道に溢れ、身動きが出来ない状態になり
警察が交通整理をするまで盛り上がったりしました
(勿論警察の了解の下に行った催しですので)。
この前夜祭をきっかけに
神保君がドラムだった慶応のビックバンドに
急遽ベースで桜井君が参加したことにより
彼がカシオペアに入ったりもしたと聞く。
またこのイベントで僕達は
渋谷文化トライアングル構想なるものを打ち立てていた。
それは、渋谷文化は(当時)新しい109を中心に
音楽の中心道玄坂ヤマハ店、ファッションの中心公演通りパルコ
これを結ぶべく文化トライアングル構想を打ちたて、
(勝手に)盛り上げようとしていた。
学生によるカルチェラタンを渋谷に作ろうと、
少しまじめに思っていたんだ。
と、丁度その頃、後の東急文化村を中心になり立ち上げ、
後にトップになられる人物と知り合うんだが
・・・これがまたとんでもなく素敵な人だ、まそれはそれとして・・・
その方は、当時まだ東急系の代理店の若きアドマン。
まあ見た目は・・・もみ上げとネクタイが個性的な方で・・・
その方が
「パルコは無いだろうがパルコは・・・、東急本店でしょうが、もう一点は」
と何だかわけの分かったような、よく分からないような勢いに押されて・・・
で、少し後でその方が中心になり、
かつて東急本店の裏にあった大きな駐車場で
「アメリカ文化村」と言うイベントが行われることになり、お手伝いもした。
それが今思うと、現在の東急文化村オーチャードホールへと続く
「文化の道」の始まりだった。
もう一つは
年末に行われたNHKホールでの年末特番
残っている資料を改めてみてみたら忘れていたことも多く改めて記します。
タイトルは「’70年代フォーク・ロックヒットナンバー」
司会は宇崎竜童氏で
東京六大学の学生バンドがそれぞれ演奏。
出演は宇崎氏、学生バンド、そして私たち。
ベースとなるのは私たちが調査した
都内三〇校、二千人へのアンケートのデータで
宇崎氏と会場NHKホールに集まった学生とのトークなどで構成された。
手元に残っている当時の読売新聞によると(写真添付)
そのアンケート結果では
大学生が選ぶ70年代を代表するアーテストは
「荒井由実」、「アリス」、「かぐや姫」、「チューリップ」
ベストソングは①「心の旅」②「神田川」③「いとしのエリー」
因みにワーストアーティストは「さだまさし(女学生には堂々の一位)、
松山千春・・・だったようだ。
これ以外に
伊勢丹でファッションサークルによる大学生が提案する
リクルート・ファッションショーやったり、
まっそんなこんなで、楽しい時間でした。
今日の一言:
ヒカリエがもうすぐオープンする。
1Q79年、僕達は渋谷にいた。
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