デイヴィッド・フォスター&フレンズ@東京国際フォーラム・レポート

行ってきました。
結論:うん、もー最高でした。
なんだか最近「行ってきました」報告ばかりですみません。
でも良いものは良いのです。
今回が3回目(3年目)で
私は2年前と今回の2回目で、何度みてもよいよね、よいものは。
主な内容はオフィシャルのURLをどうぞ。
http://dff-japantour.com/

で、個人的レポートです。
彼の何が良いのか、好きなのかということを
個人的見地で少し考えてみた。
結論とまで言うほどの事ではないが、
彼は音楽のルーツはクラッシックにあり・・・
カナダで生まれ、5歳の時に完全音階を持っていることに気づき、
13歳までピアノを学び、
その後イギリスにわたって、チャックベリーやドリフターズのバックを努めたそうだ。
ここでロック、R&Bと出会うのかな。
カナダに戻りプレイヤーとして頭角を現し
LAに進出してキーボード中心のスタジオ&セッションプレイヤーとしての地位を確実にし
そう、そしてあの、名バンド、エア・プレイをジェイ・グレイドンと組むわけだね。
書いていてはきりがないので・・・
まあ、そのクラッシックをルーツに、
ブラックコンテンポラリー、R&B、JAZZの要素が組み込まれ完成された彼独特の音の世界、
私は、そこが好きなんだな、とあらためてきがついたわけです。

ある読み物で彼の事でこんなのを読んだことがある。
長年第一線でトップの地位を続けるポイントとして彼が考えること・・・
それを要点で書くと
音楽業界では若い世代がトップに立つことが常で
もう若くはなくなった彼がある優秀な人がいった言葉に出会う。
『別の方向性で改めてこのビジネスに貢献すべきだ』
ヒットレコードを出して前進していたが、当然壁にぶつかる。
その時に人は壁を打ち破ろうと苦しむが結局断念することが多い。
しかし、壁が出来たら方向を買えて、壁を避けて脇から壁の向こうに行く。
彼はその方法で少なくとも3回壁の向こうに出ることが出来た・・・
という事。
実際
70年後期から80年初めのミュージシャン、コンポーザーとしての成功:彼の音
80年後半のプロデューサーとしての成功:彼の作品
90年代に入っての違う形のプロデュース:彼のプロデュース
と大きく方向性を3回変えて都度新たな形で成功していることは事実。

で、今回のコンサート・・・
一昨年に続きピーター・セテラやってくれます。
素敵なスーツにネクタイ、アコースティックギターまで抱えて。
誰かさんがこんな格好でアコギを抱えると、フォークか演歌になっちゃうのですが
彼だと何でロックになるんだろうと・・・
スウェーデン出身の新人バンド、ダーティー・ループ、
デビッドが新たにプロデュースしている期待の星らしい。
わかる、というか、まだ荒削りだが可能性は凄い、新人を育てる、敬意。
ポールヤングは正直残念。
で、後半。
ベビー・フェイスは私はよくわかりませんが、瞬時にして彼の世界を構築する
それは確かだった。
デビッドが「何でここまで皆座ってたのに、ケニー(ベビーフエイス)になると
スタンディングオベージョンになるんだ?」と冗談で嫉妬していた。
そして最後はチャカ・カーン・・・・もーーーーたまりません、言葉は要りませんね。

PS
席の直ぐ前がPAと照明の卓で操作するスタッフの行動を目の当たりに出来た。
で、照明の白人中年オジサンオペレーターがよかった。
座りながら、時には踊るようなしぐさで、照明のスイッチを操作していた、
楽しく仕事してる姿、格好良い。

That's学:
エア・プレイはデヴィッドとジェイの二人組みではない。
トミー・ファンダーバーグというヴォーカルがいて3人組。
ジャケット写真にも映ってないけれどね、可哀そう。

今回の一言:
一昨年、このコンサートで初めてMisiaを見た。
本当それまで、曲は知っていたがどんな姿の人か知らなかった。
で、知人にこう言った
「僕ミーシャって初めて見たけれど、
歌はよいけれど、見た目は
顔を大きくした松井直美みたいだね」
笑われた、本当。
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