メディアに対するネオフォビア(新規恐怖)・プラトンによるソクラテスの引用
わっわっわっ
どうしちまったんだ、わたくし大丈夫でしょうか?!
第一こんなタイトルで読んでいただける人がいるのか・・・。
たまには背伸びしてわけわからんままにこんなこと書いてしまっているのではないのです。
最近読んだ本に面白いことが書いてあったので
是非ともこの場を借りて紹介したいと思った次第でありまして。
前にこの場でも書きましたが
私もそうですが
知識というフィールドにおいての
テクノロジー優先的な流れに関しては
批判的な考えを持っているひとが
多くいるように思う。
例えば
ネットで検索した情報なんてすぐに忘れてしまうというウィキペディアの功罪や
電子ブックで文学を読んではたしてどんなものなのかとか、
それらは
うわっつらの知識であり
はかなく、しろばんばのごとく消え去ってしまうのではないのか、
という言い草だ。
この手の批判は
ニューメディアが出てくるたびにも、大勢ではないにしても、常にその危機が語られている。
体験している範囲でもテレビがそうであるし・・・子供のころTVを見すぎるとバカになるぞなんて言われたよね・・・
そして近年ネットでも同じような危機説が語られている。
それがメディアに対するネオフォビア(新規恐怖)ということであり
かくある私も同様に
上記のごとく感じているわけだ。
実は古くはラジオが登場した時もそうであるし
電話が登場した時も同じような危惧が語られたそうだ。
そしてさらにさらに驚くべきことには
古代ギリシャの哲学者プラトンは著書「パイドロス(BC370年代)の中で
ソクラテスの口を借りて「文字」を批判している。なんと「文字」の発明をだ。
要は文字というメディアの発明により
人間は覚えている自分の言葉で語る能力が衰え
ひいてはそれが人類の軽薄さを助長すると書いているのだ!
その内容を少しだけ記してみる。
「前略・・・書かれた言葉(文字)に何か教えてもらおうと質問しても、何も答えてくれない。
それにひとたび書物にされると、、それを理解する人のところであろうと、
おかまいなしに、点々とめぐり歩く・・・後略」
更にソクラテスに対する
「書かれた言葉とは物を知っている人が語る、生命を持ち、魂を持った影に過ぎないのか?」との問いに
に「そうだ」と語らせている。
文字とは、発明された当時はまさにニューメディアであり
プラトンはそのニューメディアに真っ向から批判的であったというわけだ。
そしてここでの「文字」をそのまま「インターネット」と書き換えても意味は充分重なる。
今当たり前のごとく考えると
プラトンさんのこの批判は間違っているよ、と言わざるを得ない。
そして
彼のこの考えも「文字」という記録するニューメディアがあってからこそ
現代の私たちにも伝わっているわけだからこそ。
さらにさらに
ラファエロが描いた絵というニューメディアがあるからこそ
プラトンさんはよりリアルにその存在を現代に残していることは間違いない。
ということで、ネオフォビア(新規恐怖)。
ネットがSNSが社会に害を及ぼすのではない、
害があるとしたら
その利用の仕方、利用する人の環境、
メディアの周辺事情によるところが大きいという事はわかる、だよね。
今回の一言:
中学生の頃、英語の単語を覚えるのに
一番の方法は
赤尾の豆単を1ページ目から覚えて、片っ端から食っちまう事だ
と教えられた。
私は少食だったのだろう、
abandonのページまでしか食べられなかった。
わっわっわっ
どうしちまったんだ、わたくし大丈夫でしょうか?!
第一こんなタイトルで読んでいただける人がいるのか・・・。
たまには背伸びしてわけわからんままにこんなこと書いてしまっているのではないのです。
最近読んだ本に面白いことが書いてあったので
是非ともこの場を借りて紹介したいと思った次第でありまして。
前にこの場でも書きましたが
私もそうですが
知識というフィールドにおいての
テクノロジー優先的な流れに関しては
批判的な考えを持っているひとが
多くいるように思う。
例えば
ネットで検索した情報なんてすぐに忘れてしまうというウィキペディアの功罪や
電子ブックで文学を読んではたしてどんなものなのかとか、
それらは
うわっつらの知識であり
はかなく、しろばんばのごとく消え去ってしまうのではないのか、
という言い草だ。
この手の批判は
ニューメディアが出てくるたびにも、大勢ではないにしても、常にその危機が語られている。
体験している範囲でもテレビがそうであるし・・・子供のころTVを見すぎるとバカになるぞなんて言われたよね・・・
そして近年ネットでも同じような危機説が語られている。
それがメディアに対するネオフォビア(新規恐怖)ということであり
かくある私も同様に
上記のごとく感じているわけだ。
実は古くはラジオが登場した時もそうであるし
電話が登場した時も同じような危惧が語られたそうだ。
そしてさらにさらに驚くべきことには
古代ギリシャの哲学者プラトンは著書「パイドロス(BC370年代)の中で
ソクラテスの口を借りて「文字」を批判している。なんと「文字」の発明をだ。
要は文字というメディアの発明により
人間は覚えている自分の言葉で語る能力が衰え
ひいてはそれが人類の軽薄さを助長すると書いているのだ!
その内容を少しだけ記してみる。
「前略・・・書かれた言葉(文字)に何か教えてもらおうと質問しても、何も答えてくれない。
それにひとたび書物にされると、、それを理解する人のところであろうと、
おかまいなしに、点々とめぐり歩く・・・後略」
更にソクラテスに対する
「書かれた言葉とは物を知っている人が語る、生命を持ち、魂を持った影に過ぎないのか?」との問いに
に「そうだ」と語らせている。
文字とは、発明された当時はまさにニューメディアであり
プラトンはそのニューメディアに真っ向から批判的であったというわけだ。
そしてここでの「文字」をそのまま「インターネット」と書き換えても意味は充分重なる。
今当たり前のごとく考えると
プラトンさんのこの批判は間違っているよ、と言わざるを得ない。
そして
彼のこの考えも「文字」という記録するニューメディアがあってからこそ
現代の私たちにも伝わっているわけだからこそ。
さらにさらに
ラファエロが描いた絵というニューメディアがあるからこそ
プラトンさんはよりリアルにその存在を現代に残していることは間違いない。
ということで、ネオフォビア(新規恐怖)。
ネットがSNSが社会に害を及ぼすのではない、
害があるとしたら
その利用の仕方、利用する人の環境、
メディアの周辺事情によるところが大きいという事はわかる、だよね。
今回の一言:
中学生の頃、英語の単語を覚えるのに
一番の方法は
赤尾の豆単を1ページ目から覚えて、片っ端から食っちまう事だ
と教えられた。
私は少食だったのだろう、
abandonのページまでしか食べられなかった。
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