阿久悠さんと秋元康
今朝のニュースで
秋元康が作詞した曲の総売上が
今までさいこうきろくをだった、阿久悠さんの記録をうわまわったとあった。
そこで、思い出した。
久しぶりに昔の話。
27ねんぐらいまえからな・・・まっお付き合いのほど・・・。
当時、若造の制作マン立った私があるきっかけで当時担当していたアーティストのために、阿久悠さんにさくしをおねがいすることになった。
阿久さんはその依頼を二つ返事で受けてくれて、
・・・まあ、そこには色々と訳があるのですが、
そこは省きます・・・
さすがに超大御所、すぐに、というか何と、規定の日より前に完成させてもらった。
が、しかし、若気の至りというか、怖いもの知らずというか、どうしてもその出来上がった詩が私の目的とするものとは少し違っていた。
勿論素晴らしい作品ではあるのだが、
どうしても、どうしても、と大胆に進言して、
そこで何度か修正に応じていただいた。
が、それでも、私の説明が間違いなく悪かったの
だと思う、どうしても、どうしても、基本的な点で、違和感が残ってしまい、
何と何と、依頼を取り消し、返上することのした。これは一部の方にしか理解していただけないことだと思うが、それはそれは大変なこと
だった。後で聞いたところによると、例ば、その2年ぐらい前に私のボスが同じように取り下げをしたときに頭きを丸めて、ぼうずがりになり、謝ったというぐらいだ。
しかし、本当に若気の至り、無知、ばかもおだ
てりゃ木に登る(かんけいないか)、
断りに一人阿久さんの熱海のご自宅へ伺った。
勿論、誠心誠意い込めて説明した、というわけではなく、阿久さんが本当に大人だったからだと思う、本当に心持ちよく、私の提案にうなずいていただいた。
そんなかんなの、とてつもない緊張の時間が去り、雑談というか、音楽のこととか、会話が弾んだ。そこで、作詞家の話になり、阿久さんの
口から出てきた言葉が「最近、君の制作部から送られてきたサンプルに秋元という若い作詞家のさくひんがあったが(尊敬する先輩の一人が秋元を作詞家として見出だし、サンプルのなかにもふくまれていた)か
という若い作詞家がいるんだが、彼はすごい
ね、今後彼は最も優秀な作詞家に成長するよ」と。
その時、まだ世間でもそれh土名前走られておらず、事実阿久さんもん前をうるおぼえぐらいだった。
それなのに阿久さんは見事にその才能を見抜いていたんだと、
これは全く驚くべきことという他言いようがない。
そして、今日のこのニュース
なんとも言えない思いが、心のなかを通りすぎた。
後日談だが、
阿久さんのご自宅に向かったという情報が私の所属する制作部内に知れたとき(別にないそでいったわけではないが)、上司は青いかををして、とんでもなくてんてこまいしたとのこと「あいつ、またやらかした、しかもなんということを、今からでも良いから誰か新幹線で捕まえて、引きもどせないか」と、真剣に検討していたとも聞いた。
今回の一言
上司の方には迷惑をお掛けしました
今朝のニュースで
秋元康が作詞した曲の総売上が
今までさいこうきろくをだった、阿久悠さんの記録をうわまわったとあった。
そこで、思い出した。
久しぶりに昔の話。
27ねんぐらいまえからな・・・まっお付き合いのほど・・・。
当時、若造の制作マン立った私があるきっかけで当時担当していたアーティストのために、阿久悠さんにさくしをおねがいすることになった。
阿久さんはその依頼を二つ返事で受けてくれて、
・・・まあ、そこには色々と訳があるのですが、
そこは省きます・・・
さすがに超大御所、すぐに、というか何と、規定の日より前に完成させてもらった。
が、しかし、若気の至りというか、怖いもの知らずというか、どうしてもその出来上がった詩が私の目的とするものとは少し違っていた。
勿論素晴らしい作品ではあるのだが、
どうしても、どうしても、と大胆に進言して、
そこで何度か修正に応じていただいた。
が、それでも、私の説明が間違いなく悪かったの
だと思う、どうしても、どうしても、基本的な点で、違和感が残ってしまい、
何と何と、依頼を取り消し、返上することのした。これは一部の方にしか理解していただけないことだと思うが、それはそれは大変なこと
だった。後で聞いたところによると、例ば、その2年ぐらい前に私のボスが同じように取り下げをしたときに頭きを丸めて、ぼうずがりになり、謝ったというぐらいだ。
しかし、本当に若気の至り、無知、ばかもおだ
てりゃ木に登る(かんけいないか)、
断りに一人阿久さんの熱海のご自宅へ伺った。
勿論、誠心誠意い込めて説明した、というわけではなく、阿久さんが本当に大人だったからだと思う、本当に心持ちよく、私の提案にうなずいていただいた。
そんなかんなの、とてつもない緊張の時間が去り、雑談というか、音楽のこととか、会話が弾んだ。そこで、作詞家の話になり、阿久さんの
口から出てきた言葉が「最近、君の制作部から送られてきたサンプルに秋元という若い作詞家のさくひんがあったが(尊敬する先輩の一人が秋元を作詞家として見出だし、サンプルのなかにもふくまれていた)か
という若い作詞家がいるんだが、彼はすごい
ね、今後彼は最も優秀な作詞家に成長するよ」と。
その時、まだ世間でもそれh土名前走られておらず、事実阿久さんもん前をうるおぼえぐらいだった。
それなのに阿久さんは見事にその才能を見抜いていたんだと、
これは全く驚くべきことという他言いようがない。
そして、今日のこのニュース
なんとも言えない思いが、心のなかを通りすぎた。
後日談だが、
阿久さんのご自宅に向かったという情報が私の所属する制作部内に知れたとき(別にないそでいったわけではないが)、上司は青いかををして、とんでもなくてんてこまいしたとのこと「あいつ、またやらかした、しかもなんということを、今からでも良いから誰か新幹線で捕まえて、引きもどせないか」と、真剣に検討していたとも聞いた。
今回の一言
上司の方には迷惑をお掛けしました