「シカゴ/Chicago」 コンサートレポート10月20日@東京国際フォーラム
一昨日行って参りました。
皆、楽しい思い出に浸り、素晴らしい今を体験したですよね。
そう、土曜日の国際フォーラムはまさにその通り。
よかったぁ。
とは書きましたが、実はライブが始まって30分ぐらいは・・・・
・・・書いちゃいますね・・・
それはそれはひどいものでした。
マジで、よっぽどもう耐えられない、帰っちまおうと本気で思ったぐらいです。
まずボーカル&ベースのジェイソン・シェフが酷く、
彼に引っ張られたのか、囲むコーラスが音程がずれるの何のって、
で、バンドのバランスはがたがた(これは演者の問題ではなくエンジニアの問題だと思うが)
彼らの初の全米ナンバーワンの曲、バラード「If You Leave Me Now(愛ある別れ)」では
こら!ジェイソン・シェフ帰れ!ピーターセテラを出せ!と心の中で叫んでいたのです。
寄る年波には勝てないのか?それにしても酷すぎる・・・とほほ・・・・
それがあら?30分ぐらいが過ぎたあたりから、
急に、急展開、良くなったのです!?
ボーカルも音をはずす事無く、力量たっぷり、
それを包むコーラスも、さっきは何だったの?と見違えるぐらい、素晴らしくなり、
バンドのバランスもアレマっ?と思うように良くなった。
思うに、きっと、音のエンジニアがそれまでメンバーへのモニターのバランスがぐちゃぐちゃで
メンバーには良く聞こえないままに歌い演奏していたんではないかと推測されます。
PAからのバランスも全然改善されたんだから。
特に創設期からの主要メンバーであるロバート・ラム(Vo,Key)が「サタデイ・イン・ザ・パーク」を歌い
「Hard to Say I'm Sorry(素直になれなくて)」では12弦ギターであの間奏を奏でられた時には
気持ちが20数年飛んで浮遊してしまった。
この曲で彼らは
デイヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎えて復活したんだよね。
続いてデビュー当時のビギニングス等々ヒットの嵐。
なかでもトロンボーンのジェイムズ・パンコウが当時と同じく
小柄ながらにも、仁王立ちで演奏するその姿の格好よかったの何のって!
彼に加えてウォルター・パラゼイダー(Sax)、リー・ロックネイン(TP)の三人で披露する
白人ダンス(とでもいうのか)の決まってたことったらたまらないでした。
最後は1970年のヒット曲「25 Or 6 To 4(長い夜)」での大団円。
えーと、2012引く1970は42・・・・うっ!?42!42年です。
帰り際にキョードー東京の方にどうでしたか?と聞かれたので
「30年前にタイムスリップもしたし、もっと良い今を楽しめました」
と答えたけれど、42年前だったんだんだ!?
ということは当時生まれた人が今年厄年なんだ・・・・。
PS
デイヴィッド・フォスター
http://dff-japantour.com/
また来日公演する。
今度はチャカカーン、そして再度ピーターセテラ参上ですね。
行きます。
That's学:
「サタデイ・イン・ザ・パーク」
って実は大統領選挙の応援ソングだと聞いたことがあるのだけれど
その真は如何に?
ところでやはりオバマが優勢なんだろうか?
今回の一言:
学生の頃、自分のバンドでも演奏した曲が10曲はあったなぁ・・・
一昨日行って参りました。
皆、楽しい思い出に浸り、素晴らしい今を体験したですよね。
そう、土曜日の国際フォーラムはまさにその通り。
よかったぁ。
とは書きましたが、実はライブが始まって30分ぐらいは・・・・
・・・書いちゃいますね・・・
それはそれはひどいものでした。
マジで、よっぽどもう耐えられない、帰っちまおうと本気で思ったぐらいです。
まずボーカル&ベースのジェイソン・シェフが酷く、
彼に引っ張られたのか、囲むコーラスが音程がずれるの何のって、
で、バンドのバランスはがたがた(これは演者の問題ではなくエンジニアの問題だと思うが)
彼らの初の全米ナンバーワンの曲、バラード「If You Leave Me Now(愛ある別れ)」では
こら!ジェイソン・シェフ帰れ!ピーターセテラを出せ!と心の中で叫んでいたのです。
寄る年波には勝てないのか?それにしても酷すぎる・・・とほほ・・・・
それがあら?30分ぐらいが過ぎたあたりから、
急に、急展開、良くなったのです!?
ボーカルも音をはずす事無く、力量たっぷり、
それを包むコーラスも、さっきは何だったの?と見違えるぐらい、素晴らしくなり、
バンドのバランスもアレマっ?と思うように良くなった。
思うに、きっと、音のエンジニアがそれまでメンバーへのモニターのバランスがぐちゃぐちゃで
メンバーには良く聞こえないままに歌い演奏していたんではないかと推測されます。
PAからのバランスも全然改善されたんだから。
特に創設期からの主要メンバーであるロバート・ラム(Vo,Key)が「サタデイ・イン・ザ・パーク」を歌い
「Hard to Say I'm Sorry(素直になれなくて)」では12弦ギターであの間奏を奏でられた時には
気持ちが20数年飛んで浮遊してしまった。
この曲で彼らは
デイヴィッド・フォスターをプロデューサーに迎えて復活したんだよね。
続いてデビュー当時のビギニングス等々ヒットの嵐。
なかでもトロンボーンのジェイムズ・パンコウが当時と同じく
小柄ながらにも、仁王立ちで演奏するその姿の格好よかったの何のって!
彼に加えてウォルター・パラゼイダー(Sax)、リー・ロックネイン(TP)の三人で披露する
白人ダンス(とでもいうのか)の決まってたことったらたまらないでした。
最後は1970年のヒット曲「25 Or 6 To 4(長い夜)」での大団円。
えーと、2012引く1970は42・・・・うっ!?42!42年です。
帰り際にキョードー東京の方にどうでしたか?と聞かれたので
「30年前にタイムスリップもしたし、もっと良い今を楽しめました」
と答えたけれど、42年前だったんだんだ!?
ということは当時生まれた人が今年厄年なんだ・・・・。
PS
デイヴィッド・フォスター
http://dff-japantour.com/
また来日公演する。
今度はチャカカーン、そして再度ピーターセテラ参上ですね。
行きます。
That's学:
「サタデイ・イン・ザ・パーク」
って実は大統領選挙の応援ソングだと聞いたことがあるのだけれど
その真は如何に?
ところでやはりオバマが優勢なんだろうか?
今回の一言:
学生の頃、自分のバンドでも演奏した曲が10曲はあったなぁ・・・