大相撲に見る興行のありかた

国技館の入場券のモギリを親方たちがやっているんです!
何だか分からんと思いますので、順番に書きます。
一昨日、両国で、生まれて初めて生の大相撲を見た。
内容は勿論良かった、というか未だにこのような江戸の風景が存在していること自体に感動した。

両国駅から、いざ国技館内へと入り口のほうに向かったら
入り口横にブースのようなもの(宝くじを売っている人が中に入っている箱型のあんなやつ)が並んでいて
そこで一枚一枚入場券を切ってくれている。
そして私の番が来てブースの中の人を見て驚いた!麒麟児だ!
そう、あの元関脇の麒麟児こと北陣親方があの狭いブースの中に入り
一枚一枚丁寧にモギリをしている。それだけではなく一人ひとりに丁寧に
「貴方の席は00なので00の扉から00へと進んでください」と
ニコニコしながら案内してくれている。
私は正直、麒麟児のファンだ!目の前にたまたまいたから、にわかファンになったのではない、
本当に大好きな力士の一人で、思わず握手を求めてしまった。で、快く応じてくれた。
興奮気味で他のブースを見ると、そこには全部親方衆が入っていて、
皆暑いさなかなのに丁寧にモギリっている。
更に更に、会場内の案内も親方衆が、ラジオとかの貸し出し担当も親方衆が受け持っている。
そして全て、みんながちゃんと、しっかりとその担当の役割を、不器用ながらにも行っていた。
こんな光景は予想だにしていなかった。
もちろん会場警備とかに親方衆が担当していることは情報として知ってはいた。
でも内心(ポーズだろうな、やってますよっていう。実際ちょこっとやっててアリバイだけ作って
後は若いのにお任せ)程度ではと思っていたが、
このような実効支配、じゃなかった、事実を目の当たりにすると、俄然見る目が変わる。

で、今日のテーマへ。
もともと興行とはまっとうに働く、労働すること(そのほうが重要で重んじられていた)よりも
人を笑わせたり、歌で喜ばせたり、体力で魅せたりするほうが得意である人たちが
「まっとうには働けなくて、すみませんねぇ、でもその代わりの申し訳ないので、
歌って皆さんに喜んでいただきます、おかしな話をして笑ってもらいます・・・・」というものだ。
元々芸能や興行存在自体は謙虚に芸や技を見ていただく、
そのために日頃から技術の上達に真摯に打ち込む、
そしてご覧頂、ご祝儀をいただく、それはありがたいものです、という姿勢で行われていたもの。
大相撲の親方たちのこのような地道な働きも、このような原点に基づき、受け継がれてきた事なのだ。
運営の不明瞭さや年寄株問題などで新しい規定の財団法人に移行が出来るのか
不安な点を残している相撲協会。
難しいことは横においておいて、目の当たりにした事実、
それだけでも十分何かに値する価値ある団体だと私は思う
(自分がファンだからという高ゲタをはずしてもても)。
ともかく興行というものがどういうものか、このようにその原点を守り続ける慣習を持ち続ける大相撲、
他の興行を行うジャンルの人たちも見習うべき点が多いのではないでしょうか。

今回の一言:そもそも興行と思っていない人たちもいる・・・まっそれはともかく稀勢の里!!
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