コラムン4:三木たかしさんのCD

26日(土)日経新聞の夕刊のコラムで
特別編集委員の方が
「故三木たかしさんの歌声」
と言うのを書かれていた。
09年に亡くなった三木さん、
その夫人から先日CDが届いたと言う内容だ。
添えられた夫人の手紙には
「この度、生前三木の残した歌唱音源をCDに致しましたので、
お世話になりました皆様に送付させていただきました(中略)三木たかし
独特の歌唱を懐かしんで聞いて頂ければ幸いでございます」と。
このような記事だった。

実は三木たかしさんは僕たち夫婦のお仲人さんであり
僕のところにもこのCDと手紙が送られていた。
タイトルは「Passion」で非売品。

生前、三木さんは僕に色々なことを話してくれた。

歌謡曲、演歌、の作曲家としての印象が強くはあるが
それはそれは多岐にわたるジャンルを網羅した、
今更書くことも無いが、真の大作曲家だった。
子供向けの曲、アンパンマンのあのマーチも三木さんによるものだ。
こんなことも・・・
「オミズ(僕のことをこう呼んでくれていた)、
アンパンマンの曲を作るとき、
デズニーランドのエレクトリカルパレードの曲があるでしょ、
あんな感じの曲にしたいなと、子供たちがおもわず踊りだしてしまいたくなるような、
それであの曲が出来たんだよ」と。

元々JAZZに深く傾倒していたという。
しかし作曲家としてスタートしてからは
所謂、流行歌の作曲家の道を進む。
当初のヒットは妹さん(黛ジュン)に書いた曲。
そして阿久悠さんの詩に曲を付けた
「津軽海峡冬景色」を作りこれが記録的なヒット。
このヒットを連発していた時でも、まだ若く、
改めて(果たして自分はこのままでよいのだろうか?
作曲家としての自分、力量、こんなことでよいのだろうか?)
との思いが強くなり、名声を捨てて単身渡米、
バークレーでJAZZを学び直した。
そして帰国後スタートラインに立ち戻り
そこからは
全てのジャンルを広く網羅すべく活躍の場を広げて活躍された。
皆さんが周知のように、それこそ前述の子供向け、演歌、歌謡曲は勿論、
ミュージカルにいたるまで。

僕もJAZZが好きで三木さんとアートブレイキーなどの話をしてたりした時
かっこつけて、というか知ったかぶりして
「三木さん、三木敏悟ってどう思います?」
なんて背伸びした質問をしたら
(三木敏悟さんは日本人のJAZZアーティストでかなりマニアックな名前)
「あぁ、三大三木(さんだいみき)って言って
三木敏悟、ジェームス三木、それに三木たかし、
仲良いよ・・・」
・・・・何事にも真摯に受け答えてくれる方なので
この話もきっと本当だと思います・・・僕はというと・・・。


このCDが届いた日に家族で思い出を話していたら
息子は幼稚園のころに
度々ご自宅近くのラーメン屋さんに連れて行ってくれたことをよく覚えており
「本当にやさしいオジサン(失礼)だったなーー」なんてお気軽にコメントしてて
それを聞いていた娘が、彼女も赤ん坊のときよく抱っこされていたが、そんな記憶はまったくなく
「三木たかしさんって、音楽の教科書に名前があるけれど???えっ?お仲人さん?えっ?」

そしてこのCD。
心の叫び、
何処までも何処目でも続く優しさと、地下マグマのような内に秘めた情熱。
常に心の叫びを歌にしていた
今更私が言うのもおこがましいのですが
「三木たかし」
まいりました。

今日の一言:
優しくないと生きていけない
情熱がないと生きていく価値が無い
か。
10