ブログがFBと連動していなかった時に書いたコラムンで
読んで欲しい幾つかを、ここ2,3日で、加筆して続編。
まっ、ブログの再利用というかエコモードですね。
元をお読みでない方のために
まずはコラムン4を再度載せます。
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「コラムン4:三木たかしさんのCD」
26日(土)日経新聞の夕刊のコラムで
特別編集委員の方が
「故三木たかしさんの歌声」
と言うのを書かれていた。
09年に亡くなった三木さん、
その夫人から先日CDが届いたと言う内容だ。
添えられた夫人の手紙には
「この度、生前三木の残した歌唱音源をCDに致しましたので、
お世話になりました皆様に送付させていただきました(中略)三木たかし
独特の歌唱を懐かしんで聞いて頂ければ幸いでございます」と。
このような記事だった。
実は三木たかしさんは僕たち夫婦のお仲人さんであり
僕のところにもこのCDと手紙が送られていた。
タイトルは「Passion」で非売品。
生前、三木さんは僕に色々なことを話してくれた。
歌謡曲、演歌、の作曲家としての印象が強くはあるが
それはそれは多岐にわたるジャンルを網羅した、
今更書くことも無いが、真の大作曲家だった。
子供向けの曲、アンパンマンのあのマーチも三木さんによるものだ。
こんなことも・・・
「オミズ(僕のことをこう呼んでくれていた)、
アンパンマンの曲を作るとき、
デズニーランドのエレクトリカルパレードの曲があるでしょ、
あんな感じの曲にしたいなと、子供たちがおもわず踊りだしてしまいたくなるような、
それであの曲が出来たんだよ」と。
元々JAZZに深く傾倒していたという。
しかし作曲家としてスタートしてからは
所謂、流行歌の作曲家の道を進む。
当初のヒットは妹さん(黛ジュン)に書いた曲。
そして阿久悠さんの詩に曲を付けた
「津軽海峡冬景色」を作りこれが記録的なヒット。
このヒットを連発していた時でも、まだ若く、
改めて(果たして自分はこのままでよいのだろうか?
作曲家としての自分、力量、こんなことでよいのだろうか?)
との思いが強くなり、名声を捨てて単身渡米、
バークレーでJAZZを学び直した。
そして帰国後スタートラインに立ち戻り
そこからは
全てのジャンルを広く網羅すべく活躍の場を広げて活躍された。
皆さんが周知のように、それこそ前述の子供向け、演歌、歌謡曲は勿論、
ミュージカルにいたるまで。
僕もJAZZが好きで三木さんとアートブレイキーなどの話をしてたりした時
かっこつけて、というか知ったかぶりして
「三木さん、三木敏悟ってどう思います?」
なんて背伸びした質問をしたら
(三木敏悟さんは日本人のJAZZアーティストでかなりマニアックな名前)
「あぁ、三大三木(さんだいみき)って言って
三木敏悟、ジェームス三木、それに三木たかし、
仲良いよ・・・」
・・・・何事にも真摯に受け答えてくれる方なので
この話もきっと本当だと思います・・・僕はというと・・・。
このCDが届いた日に家族で思い出を話していたら
息子は幼稚園のころに
度々ご自宅近くのラーメン屋さんに連れて行ってくれたことをよく覚えており
「本当にやさしいオジサン(失礼)だったなーー」なんてお気軽にコメントしてて
それを聞いていた娘が、彼女も赤ん坊のときよく抱っこされていたが、そんな記憶はまったくなく
「三木たかしさんって、音楽の教科書に名前があるけれど???えっ?お仲人さん?えっ?」
そしてこのCD。
心の叫び、
何処までも何処目でも続く優しさと、地下マグマのような内に秘めた情熱。
常に心の叫びを歌にしていた
今更私が言うのもおこがましいのですが
「三木たかし」
まいりました。
今日の一言:
優しくないと生きていけない
情熱がないと生きていく価値が無い
か。
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コラムン9
で、そもそも何で三木さんにお仲人をお願いすることになったかといういきさつを書いてみることにする。
・・・長くなるので、本当にダイジェストに・・・・
最初は仕事でお付き合いいただく様になったのだが、
当時「めだかの兄弟」という曲がヒットしていて、それにちなんで23会(にーさんかい)という会が
三木さんのお宅で毎月23日に開かれていた。
そこに僕も毎月のように顔を出すようになり、ご家族とも親しくなった。その時まだ小学生のお嬢さんが
ピアノを習っていて、その先生もよく会に来ていた。
歳は僕より少し下、近くの(三軒茶屋)の大きな酒屋さんのお嬢さんで「かわいい」子だった。
で、三木さんがある時から「オミズ、あの娘どう?」と何度か聞かれた。まあかわいい子だったので正直に
そんな内容のことを言いつつ濁していたら、ある時真剣に
「結婚相手として、考えてみないか」とおっしゃったのだ。おどろきもものきさんしょうのきききき・・・・・・・
だだだだが、実はその時既に、今の奥さんと結婚することになっていててててえて、イテテイテテイテテ♪・・・・
そのことを当時の会社の上司に相談したところ「し、し、しろみず、それは正直にお話しなさい。でも三木さんが真剣にその娘さんとの仲を取り持つ、と仰ってくれたのだから、そのままではなく、もし出来ればもう決めている結婚のお仲人さんをお願いしてみれば、どどどどうだ、ししししろみず」と至極まっとうなご指導。そこでそのとおりお話したところ
三木さんは、いつものニコニコ顔を更にニコニコで「なんだ、そおだったのか、ピアノの先生の件は少し残念だけれど、オミズの仲人は、勿論大喜びで引き受けさせてもらいます!」というしだいでありました。
今日の一言:
もしかして酒屋のご主人、それもまた捨てがたい・・・というかカワイカッタなぁ、ピアノの先生