AIKOの武道館、SEKAI NO OWARIの富士急ハイランド

昨日のAIKOの武道館、今週末のSEKAINOOWARIの富士急ハイランドと
マーケティングリサーチを含めて娘に行ってもらい感想を聞くことになっている。
なんて書くと、嘘。
単に娘が見たいという事で、チケットを手配した。
昨日のAIKOは予想通り、
(人間的に)かわいい彼女と、シンパシーのあるファンとの交流の場として
楽しく素敵なステージだったようだ。
昨夜そんな話を聞いていて、セカオワのお話になった。
このバンドは中卒、高卒、大卒、音大卒という多彩な学歴のメンバーで構成されているという事。
「じゃあ、ボーカル、曲書いているひとが中卒でしょ?」と指摘したら
「その通り、しかも彼は中学の時にいじめにあい、4時間もリンチにあった悲惨な経験の持ち主」
でもあるとのことだった。
あの音楽と詩、直接表現ではないが
なんとなくそうなんだ、そうだったんだろうなとわかる。
かってな想像だが、彼は曲を書くことにより、自分を取り戻している、
自分を取り戻すために曲を書いている、
売れるとか、楽しんでもらうという事ではなく
・・・もちろんサブ的ではあるがそういう思いはあると思うが・・・
自分の中にある空白を埋めるために曲を書いているんじゃないかなと。


先日
コラムニストの小田嶋隆氏がこの「空白」という事に対して
先日の朝日新聞で面白いことを言っている。

引用:前略〜
「ビジネス書に書いてあるような『自分の人生を設計する』という感覚は、
『カネさえあれば何でもできる』と同じくらい軽薄ですよ。
『自分で自分を律する』というのは大きな勘違いで、
そういう意識があるかぎり、人生のやり直しはできない。
 就職のやり直しにしても、結局は運です。
『夢に向かって努力する』では、こだわりでがんじがらめになるだけ。
自分がどの仕事に向いているかなんて、実際にやってみなければわからない。
 人生を途中からやり直そうとするなら、まず何かを捨てることです。
捨てた結果、その空白に強制的に何かが入ってくる。
その『何か』がいいか悪いかは、また別の話ですけれど。」
〜後略

この意見、全く同感。
常に自分の人生を設計しましょう、
そのためには
毎日目標を手帳に書きましょうと奨励したりしている人もいるが・・・
自分に向いている仕事に就きましょう、そういう就活をしようなんてことを盛んに大学は奨励しているが・・・

で、話は戻る。
そおか、セカオワの彼は
空白を音楽で埋めているのではなく
自分の中の空白に強制的に入ってくる何かを
音楽で表現しているのかな。

今回の一言:
音楽は自己表現
音楽は絞り出すこと
でもある。