広告は文化か?天野祐吉氏に一言

ここ10日間ぐらいとんでもなく忙しい。
んで、コラムンを書く余裕が無い、忙殺、忙しいは、心を亡くすと書く。
これではいかん!常に心に余裕を、文字を書くことが心の余裕と
どうにかひねり出して書きます。
なんで、すっ飛んだ内容でご了承ください。

先日、天野祐吉氏がCM関係のコラムで(こちらは本物のコラム)
パチンコのCMのコピーで「遊びの文化を創造する」という点にふれ
パチンコは文化?との問いに
「前略・・・もちろんパチンコだって文化である。歌舞伎だって映画だって競輪だって、
ついでに言えばCMだって文化である。
つまり、人間が作り出したものは、ピンからキリまで含めて、みんな文化だといっても良いだろう・・・後略」
私はこの意見に真っ向から反対だ。
天野氏の発言は私にとって本当に同感する論客だが
事CMについて述べているときはまったくその逆。
・・・でもCMに関してのコラムニストと自称しているからこれは困ったことだが・・・

でも、今回の私のCM反文化見解には根拠があるし
天野氏も実は関与している。
遡る事33年、時は1979~80年の事。
前に書いたことがあるが、私は当時、大学三年生前後、
枠を超えて多くの大学を横断した、メディア系サークルのネットワークを作っていて
大学生の立場から、世にメッセージとか見解を発信していた。
当事といえば、雑誌全盛期で、軟派に支持されたポパイなどのガイド誌から、
尖がった大学生に支持されたはB5版の雑誌が続々と創刊され、注目されていた。
「本の雑誌」「噂の真相」、先輩格の「ミュージックマガジン」から派生した「レコードコレクターズ」
そして広告に関しての天野氏が興した「広告批評」。
創刊すぐに、私たちの周りでは話題になり、注目の的だった。
で、俄然、というか唐突に、私たち学生と天野氏の対談を申し込んだ。
敵もさることながら・・・別に敵じゃないか・・・天野氏は我々の申し出に即答でOK、
対談は実施された。まっ、その内容は、それはそれで思い出深い良いものだった。
でだ、
対談が終わって、マドラ(発行していた会社)でなんとなく、そこにいた社員の人と世間話のようになって
話が盛り上がり、よせばよいのに、ここでもまた、広告論が展開された。
後でわかったが、その人物は、女性で、マドラの社長だった。
簡単に書くと、ここで語られたのは「広告は文化か文明か?」という討論だ。
私は、当時、盲目的に広告の世界にあこがれていて「広告は文化だ!」と。
で、女性社長は「広告は文明だ!」と。
最後は本当、ほとんど喧嘩状態で、私からは「てやんでい!わからずやの女社長め!」
対する社長は「青臭い、ガキが何言ってるんだ、顔洗って出直してきやえ!」
ということであったのさ。
その後、音楽と映像の世界に進んで、時には、というか沢山のCMも作った。
で、断言する、「CMは文明だ、社長、あなたは正しかったです、はい」
当事、大学生の間では、広告とかCMとか、それを取り巻く世界が華々しく、かつ文化の香りがしていた。
百貨店が「何とか生活」とか酒屋がよくわからん映像、化粧品やがこれまたわけわからんCM流して
自己満足だけでいきまいていた時代。
学生達といえば、広告研究会と称して、やっていることといえば、研究なんて名目だけで
湘南海岸で卒業生の就職先から資金を得て出店やって騒いでるだけだったり、
わけわからんままに女子大生美人コンテストやっているとか
ほんとう、今思うと、あいつら皆何やってたんでしょうね・・・・
ということで
33年たった今、天野さん、広告が文化などと、
どういう根拠でのコラムなんでしょうか、と聞いてみたくなりました。
私ってしつこい性格なのかも・・・
・・・あのころのあのての雑誌はほとんど無くなった、広告批評も。
本の雑誌はがんばっている、さすが椎名誠!・・・


そのコラムの最後に
「経済大国もいいけれど、あそび心の無い国は、おカネはあっても貧しいよね」と。
これには同感。
これまた前にも書いた幸福度の話にもなるけれど
幸福度一番の国といわれる、デンマークは消費税が25%
90番目といわれる日本は消費税5%、UPを見込んで生活保護費が削られる・・・
ここらでもう一度、文化と文明、幸福と経済
考えてみたくなった。


今回の一言:
やっぱ、今回は忙殺で疲れているのか・・・
いかんいかん、
忙しさは文化を見逃すだ。