コラムン100:苦節半年&未来に向けて若者へ

ついにきました、100回目!
思い起こせば半年前、
フェイスブックもブログもましてやツイッターなるものなど
まったく何もわからない、
素敵な中年紳士(ご周知のように僕の事です)が
数多な困難にもめげずに完遂いたしました。
初心どおり
祝休日と海外での不在時期を除き
猛威をふるったインフルエンザに冒された日も
休むことなく
どうにかこうにか貫徹いたしました!
もともと数字というものが好きではないので
それにこだわることはほとんどない僕ですが、
その人生においてこの100回という数字が持つ意味。
それは高校3年のときに樹立した高校記録、
年間遅刻220回(本当)・・・未だに破られてはいません・・・
この数字以来の快挙です。
自分を褒めてあげたい、
これで自分探しの旅に出られます、
いままでありがとう、ということで、さようなら・・・じゃなくて・・・
これもひとえに皆様方からいただきました
叱咤激励のおかげと、感謝しております。

さて一応区切りとしての今回,何を書こうかと考えた。
せっかくだから次世代に向けて何か、そうだ、あった。
「社会貢献」
について書いちゃおうではないか。
最近は就職難、かたやボランティア活動が盛ん。
ここで変な現象があるんだ。
経済産業省就業支援担当の人間がこんなことを話していた。
「今は確かに就職難ではある、
ある大学で就職課、今ではキャリアセンターと言う、
そのキャリアセンターが就職説明会を開催し、
そこそこの人員が集まった。
同時期に同じくキャリアセンターが
NPO、NGOへ参加募集の説明会をした、
それが先の就職説明会を大幅に上回る参加者で
大盛況であった」と。
彼の意見では、
後者へ参加した人たちは
勿論志し高く社会貢献をしたくて集まったのだろう、
その事は紛れも無く称される事ではあるが、
意地悪な言い方をすると、
就職が難しいから、もう一つの進路、
社会貢献の道を選んだのではないか、ということだ。
僕もまったく同感。
だいたい会社に就職して仕事をするということ、
ビジネス活動をするということは
本来、その根源は社会貢献と通じるものであるはずだ、
分けて考えるほうがおかしい。
社会人、企業人、仕事人として
与えられた状況で立ち上がり、立ち向かうこと、
それが何より大事であって
NPOだから素晴らしい、ビジネスだから辛いから避けよう、
んな事ではないのだと。
こういうときだからこそ改めて、
社会貢献とは何かという事を考えて欲しい、
そして堂々と社会人、ビジネス人になってほしい。
そうだ、今こそ
「青年よ大志を抱け!」

That's学:
この言葉には続きがある(諸説の一つ)。
「~ しかし、金を求める大志であってはならない。
利己心を求める大志であってはならない。
名声という、つかの間のものを求める大志であってはならない。
人間としてあるべき すべてのものを 求める大志を抱きたまえ。」
ただしこれは金銭的活動を否定していたのではなく
彼のピューリタンとしての精神から
勤勉と節制そして世俗的な職業に励みにより
相応の資産と不朽の名声と且又最高の栄誉と責任を有する
ことをよしとしていたところからの発言だんだ。

今日の一言:
「最近の若者は甘い、なにを考えているんだ、まったく!」
ラスコーの壁画にも、同じようなことが書かれていたと言う。

お読みいただき、ありがとうございます。
来週からは
基本的スタンスを少々変更してリニューアルスタートいたします。
今後ともあきれずにお付き合いいただければ幸いであります。