ミュシャ展に行ってきた。GOOD!しかし混んでいた&秋吉敏子(龝吉 敏子)

GW前半の最終日
ちょいと時間があったので
六本木ヒルズの森アートやっている
ミュシャ展に行ってきた。
http://www.ntv.co.jp/mucha/

凄く良かった・・・がしかし、混んでいた。

ミュシャとは
不勉強な私は
同時代のロートレック同様に
退廃的な、不真面目な、というか、単にモードを追っかけた
流行デザイナーと決めつけていて
・・・そのころのそしたパリ文化は好きではないので・・・
ほとんど興味がなかった。
しかし、今回、大きく展覧会が開催されることになり
少し学んでみたところ、とんでもございません、
ああ、ロートレックと混在させていた自分を大きく反省しました。

簡単に紹介すると
チェコ出身で
1900年前後のパリ
アールヌーボーを代表する商業アート、ポスターで
大成功をおさめった、デザイナー。
しかし彼は単にそうした一過性のデザインの世界に満足できずに
1900年のパリ万博の際にスラブ民族の館の監修にかかわることにより
改めて自分のアイデンティティー、出身、民族としての在り方に目覚める。
以後、名声を捨ててアメリカにわたり
見事にその信を全うし、アメリカはもちろん
チェコの民衆を中心多大な支持と尊敬の念を込められ現代に語り継がれることになり、
その作品は今も愛され続けている存在であると。
活動の前半は商業デザイナーではあるが、実はその仕事の中には既にスラブ民族としての
特徴をアレンジして取り入れ、それが当時のアールヌーボーの流れに強く受け入れられ
さらいその流れ自体に強く影響を与えたという事も事実。

ここで話は秋吉敏子(龝吉 敏子)の事に飛ぶ。
先日からブルーノート東京で
龝吉 敏子が久しぶりに、彼女のビックバンドを引き連れてコンサートを行っている。
私は行く予定です。
龝吉 敏子といえば、日本に本当のJAZZを入れた偉大なミュージシャン。
もちろん本場アメリカでもその名声は不動。
でだ、彼女がJAZZの本場で認められた大きな部分は
本場のJAZZの要素を消化して取り込んだという事だけでなく
日本人として、そのアイデンティティー、出身、民族としての在り方を
その作品に込めて完成させたという事だ!
彼女の作品との出会いは私が16歳ぐらいの時に発表された
夫ルータバキンとのビックバンドでの作品、アルバム
「ロングイエローロード」。
記憶が間違っていなければ、このイエローとは黄色人種の自分のルーツを表していたんじゃないかな?
で、個人的に好きなのはそのあとのアルバム「ロード・タイム」の最初の曲
「チューニング・アップ」。
この曲は曲名通り、ビックバンドのメンバーがそれぞれの楽器のチューニングを合わせる(チューニング・アップ)
シーンから始まる、おちゃめな作品。
そのライブを久しぶりに
見に行くんだ!!
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/toshiko-akiyoshi/


話は戻る。
ともかく
地に足を付けたクリエイテイビティーと言ったらよいのか
先のミュシャ、そして龝吉 敏子
こうした本当の活動、信念に基づく作品に
私は感動してします。

本当。


今回の一言:
ミュシャ展で一番感動したのは娘をモデルにした作品「ヤロスラヴァの肖像」
この絵のまなざしに見つめられて、ひと時動けなくなった。
チカラとは何だろう。
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